江戸時代前期に活躍し、『俳聖』と呼ばれた松尾芭蕉。
寛永21年(1644年)に伊賀の地で松尾与左衛門の二男として生まれました。
代表的作品『奥の細道』や『野ざらし紀行』などの紀行文があります。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖として世界的にも知られる日本史上最高の俳諧師の一人です。元禄7年(1694)10月12日、旅先の大阪で病に倒れ51歳にて生涯を閉じました。
松尾芭蕉が伊賀で生まれ、29歳まで過ごしたとされる家で、当時の生活が再現された屋内からは、芭蕉翁の暮らしぶりがうかがえます。
奥庭にある釣月軒(ちょうげつけん)は、最初の句集である『貝おほひ』が執筆された場所で、帰郷の際にはここで起居したと言われています。
旅に出てからも幾度か帰郷し、貞享4年(1687)の暮れ、生家で自分の臍の緒を見つけ、亡き父母や郷土上野への慕情をこらえきれず涙した「古里や 臍のをに泣としのくれ」の句碑が建っています。
芭蕉生家は、武家屋敷ではなく町屋の造りです。真ん中に土間が玄関から裏庭まで通じ、左側にミセ・ナカノマ・ザシキと呼ばれる三部屋が並び、その奥に中庭と蔵があります。
ミセ・ナカノマの空間を仕切る格子戸(現在は取り外し)がもうけられています。また中二階につしと呼ばれる物置の空間があることも特徴の一つとなっています。
芭蕉が幼少の頃を過ごした生家
奥庭に処女句集「貝おほひ」を執筆した釣月軒が1644年(正保元年)に生まれた松尾芭蕉が、29歳まで過ごした生家。
奥庭の離れは、処女句集「貝おほひ」を執筆した釣月軒で、帰郷の際にはここで過ごしたといわれています。
住所 | 伊賀市上野赤坂町304 |
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お問い合わせ | TEL:0595-24-2711 ホームページ:公益財団法人 芭蕉翁顕彰会 |
備考 | 開館時間 8:30〜17:00(入館は16:30分まで) 休館日 火曜日 12月29日〜1月3日 料 金 大人300円 高・中・小学生100円 障がい者割引料金 無料 駐車場 あり(有料) |
松尾芭蕉生誕300年を記念し、芭蕉翁の旅姿を表現して昭和17年(1942)に建立された建物で、丸い屋根は旅笠、「俳聖殿」の木額が顔、八角形のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表わしています。
建築家伊東忠太の助言を得て、島田仙之助が設計。2008年3月19日に三重県の有形文化財に、2010年12月24日には国の重要文化財に指定されました。
木造二階建、檜瓦葺、八角重層塔建式の聖堂。旅人と建築をひとつのものとして表現した、日本でも類例のないこの建物は建築美術の上でも傑作といわれています。
旅に生きた漂白の詩人 松尾芭蕉
その旅姿を模した八角堂です。
俳句を芸術の域にまで高めた俳聖 松尾芭蕉。
その芭蕉翁の生誕300年を記念して、1942年に建てられました。
その形は芭蕉の旅姿を表現しています。
殿内には等身大の伊賀焼の芭蕉座像が安置され、命日の10月12日の芭蕉祭で公開されます。
2010年には国の重要文化財に指定されました。
住所 | 伊賀市上野丸之内117-4 |
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お問い合わせ | TEL:0595-22-9621 ホームページ:公益財団法人 芭蕉翁顕彰会 |
備考 | 開館時間 フリー 休館日 なし 料 金 無料 障がい者割引料金 無料 駐車場 上野公園駐車場(有料)ほか |
芭蕉翁真筆資料のほか、連歌・俳諧に関する資料が展示され、年3回の企画展、1回の特別展が行われています。
入口近くには「芭蕉翁紀行足跡図」として、「野ざらしの旅(甲子吟行)」「鹿島詣」「笈の小文の旅」「更科の旅」「おくのほそ道の旅」の5つの旅の足跡が分かる電光パネルが設置されています。また、水鶏(くいな)好きの芭蕉が愛用したという、「くひな笛」もこちらで販売されています。
昭和34年(1959)神部滿之助氏の篤志寄付により、俳聖芭蕉翁を顕彰する事業のひとつとして、上野公園の一角に建てられました。
俳聖 松尾芭蕉翁の真筆のほか
連歌や俳諧に関する資料を展示 芭蕉直筆の「たび人と我名よばれむ初しぐら」の色紙や遺言状のほか、連歌や俳諧に関する資料を展示しています。
年に4回、特別展も行われます。
住所 | 伊賀市上野丸之内117-13 |
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お問い合わせ | TEL:0595-21-2219 ホームページ:公益財団法人 芭蕉翁顕彰会 |
備考 | 開館時間 8:30〜17:00(入館受付は16:30まで) 休館日 12月29日~1月3日 料 金 大人300円(200円)、小中高生100円(60円) ※( )内は20名以上の団体料金 障がい者割引料金 無料 駐車場 上野公園駐車場(有料)ほか |
芭蕉の門人・服部土芳の草庵で、芭蕉五庵(無名庵・西麗庵・東麗庵・瓢竹庵・蓑虫庵)のうち唯一現存している庵です。
貞享5年(1688)3月に土芳が開いた数日後に芭蕉がここを訪れ、庵開きの祝いとして贈った《みのむしのねを聞にこよくさの庵》の句にちなみ『蓑虫庵』と名付けられました。
昭和13年(1938)1月19日に県文化財史跡及び名勝に指定されました。
庭内には、昭和4年(1929)服部土芳の200回忌が行われた際に西蓮寺に建立され、後に蓑虫庵が昭和13年(1938)に三重県史跡及び名勝に指定されたのを記念して、西蓮寺より庵内に移設された『服部土芳供養墓所』や、芭蕉翁が故郷に帰った際、脱ぎ捨てたわらじを土芳がもらい受け塚にした『わらじ塚』が建っています。
芭蕉の門人 服部土芳の庵
芭蕉翁五庵の中で唯一現存する庵です。
芭蕉の門人 伊賀連衆の高弟 服部土芳の居宅。
土芳はここで芭蕉の遺語を集めて「三草子」を執筆しました。
庵開きの祝いとして芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで名づけられました。
住所 | 伊賀市上野西日南町1820 |
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お問い合わせ | TEL:0595-23-8921 ホームページ:公益財団法人 芭蕉翁顕彰会 |
備考 | 開館時間 8:30〜16:30 休館日 火曜日、12月29日〜1月3日 料 金 大人300円(200円)、小中高生100円(60円) ※( )内は20名以上の団体料金 障がい者割引料金 無料 駐車場 あり(有料) |
芭蕉翁生家から徒歩3分のところにある、松尾家の菩提寺。芭蕉翁の遺髪が納められた『故郷塚』があります。
元禄7年(1694)10月12日、旅の途中の大阪で病に倒れ没し、亡骸は遺言により「ふる里のごとく」愛した滋賀県大津市膳所の義仲寺に葬られましたが、訃報を受けた伊賀の門人・服部土芳(蓑虫庵主)と貝増卓袋によって遺髪が奉じ帰られました。
二人は形見に持ち帰った芭蕉翁の遺髪を松尾家の菩提寺「愛染院」の藪かげに埋め、標の碑を建て『故郷塚』と称しました。
境内には、大津に滞在していた51歳の芭蕉が、実家の兄・半左衛門より手紙で郷里に招かれ、伊賀上野に帰郷した際、一家そろって祖先の墓に詣でた折に詠んだ、「故郷の盆会に一族の者と墓参りにでかけた。みな年老いてしまい、杖をつき白髪の者もいる。自分もまた同じように、年をとってしまったものだ。」という意の『家はみな杖にしら髪の墓参り』の句碑が建っています。
芭蕉翁の遺髪が眠る「故郷塚」
松尾家の菩提寺「愛染院」の境内にあります。
芭蕉の命日である10月12日には、門弟たちによって始められた「しぐれ忌」が、今も催されています。
住所 | 伊賀市農人町354 |
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お問い合わせ | TEL:0595-21-4144 |
備考 | 休館日 なし 料 金 香華料200円 駐車場 約2台 |